生きている気がしないのは、何かがうまくいっている証な訳ない

好きな人を神格化してしまう私

人を一人の人として見る

好きになったら何一つ欠点のない完璧で理想な人だと思い、夢中になり、ある時点で必ず失望して、今度は憎しみを抱き出す。

 この激しい感情を恋しいと感じている自分もいる

 なんの感動もない人生より

 だけど人を振り回して迷惑をかけては

 人を一人の人として見る

 人の真の姿を探求する、その人の本当の姿を見る、本当のその人を見る、見ようとする

 現実を直視できない、余りにも胸が苦しくて、泣きそうだ、それよりは頭をぼんやりさせて、何事もないことにして、すべてを棚上げして、生きる気もしないまま生きる方が良かったのか

 現実を見ることが恐ろしすぎて、また、すべてを捨てて、どれだけ寂しい思いをしても、どれだけ胸が苦しくても、どれだけ恥をかいて消え入りたくなっても、死にたくても、死にたくても、死にたくても死にたくても行動を起こして、皆から別れて、この場を離れなければならない事に、気が付いていることに気が付きたくなかったのか、死にたいまま生きるほうが、真実を直視するより恐ろしくなかったのか、疲れているから仕方ないと言い訳して、

 それでもやっぱり、最近ずっと、生きている気がしなかったんだ、ずっとずっとずっとずっと、何かがおかしいはずなのに、何がおかしいのかわからなくて、頭が混乱して、楽になったはずなのに、楽になったように見えると人からも言われ、そうなのかと、自分でさえ楽になった気さえして、それでもやはり死にたくて、誰にも話せず、思わずこぼしてしまっても、わけがわからず、何も解決せず、好きな人に失望して、逆恨みし、生きる道を見失って、意味が毎日分からず、何事にも、目の前のあらゆることに集中できず、取り組めず、靄の中で生きているような気がして、最近は、なぜか胸の苦しささえ感じることができず、苦しくないのだから楽になったのだと、まとまらないぼやけた頭で日々に追われ、死んだような気持ちで、ひたすらに頭がぼんやりするばかりで、でも、たまの休みに言葉を書くと、胸にかすかな違和感があったことにだけかろうじて気づく、本当は、自分が苦しいことにさえ気づけなくなっていただけだったんじゃないか? 生きる喜びは? 生きる喜びって何? そんなもの存在するの、不可能でしょう? 私が感じるのは? 壊れた私には? 私は? 私は何をすればいいの? 生きている気がしないのは、何かがうまく行っている証な訳ない! なんでそんなこともわからないの、なんでその程度のことも、なんでその程度の私の言葉を、私の胸の苦しさを、私の体と心と私自身の声を、聴き取ってあげられなかったの、なぜ信じてあげられなかったの、私は、私の声を、私以外の誰かに否定されても、私以外の皆に否定されても、私の奥の私が、私の胸が、みぞおちが、頭が、すべてのからだが、泣きたいよと、泣き出したいよ、つらいよ、おかしいよと、叫び出したがっていることにくらい、気付いてあげたかった、気付いてあげてよかったんだ、認めてあげてよかったんだ、本当は。